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秋利神の鬼
 秋利神は徳之島最大の川でご覧のように深い渓谷です。
最近この橋が架かったためあっ、と言う間に通り過ぎてしまいますが、
以前はクネクネと曲がった道で昔から難所でした。
昔、西阿木名村に仲の良い兄妹が居ました。父親とは早く死別し、
母親の手で育てられましたが、その母親も兄が十六、妹が十三の時に亡くなり、
その後は兄弟だけで村外れの小さな家に住んでいました。
兄は妹思いでした。その兄が二十歳ぐらいになったある日、
村一番の分限者の家で法要が営まれ、兄は料理人として雇われました。
兄は料理を作るのが人並みすぐれて上手だったのです。
分限者ですから招待客も多いし料理も並外れてぜいたくで、
お吸い物には鶏肉を使いました。
手伝人たちによって羽をむしられた鶏が次々と料理人である兄の前に運ばれました。
たった一人でこんなにたくさんの鶏を料理するのかと思うと、気がせきます。
慌てたので左の小指先を切り落としてしまいました。用便に行くふりをして、
小指を布で巻いて血止めをし、料理場に戻ってみると鶏肉は手伝女たちの手で大鍋に
入れられています。切り落とした指を探すのを諦めるほかありません。
やがて女たちは吸物椀に鶏肉を入れ、順々に汁を注ぎました。
こうして幾十人分の膳が出来あがりました。しかし兄は気が気でありません。
椀のどれかに自分の指がはいっている。
その椀が客に出され、もし客が指を発見したら料理人の自分が打ち首になるのは必定である。
そう思うとじっとしてはおれません。
手伝女たちが座敷の準備にかかったのを幸いと兄は大慌てで次々と椀の蓋を取って調べました。
そしてとうとう小指を見つけました。つまみあげた瞬間、人の足音が近づいてきたので、
慌てて口の中に入れました。吐き出すわけにもいかず、
ガリッとその指を噛みしめてびっくりしました。
そのおいしさはたとえようもありません。
こうして、人間の肉のおいしさを知った兄は、それから問もなく姿をくらましました。
幾年かすぎて妹は遠くの村へ嫁ぎました。
そのころから西阿木名村で赤ん坊が行方不明になる事件が起こるようになりました。
乳呑子をおんぶして野良に出、畑の隅などに莚を敷いて寝かしている時、
いつの問にか赤ん坊がいなくなっているのです。
そのうちにもっとおそろしいことが次々と起こるようになりました。
人が死ぬと必ずその墓が荒らされ、死体が無くなっているのです。
赤ん坊をさらったり墓を荒らしたりするのは、
数年前に行方をくらました兄の仕業だという噂が、やがて妹の耳に人りました。
「あんなに優しかった兄さんが鬼になるはずはない」と妹は強く否定しましたが、
「鬼は秋利神の洞窟に住んでおり、普段は人問の姿をしている。行方不明になった
あの男に相違ない」と人々は口を揃えて言いました。
それで妹は噂の真偽を確かめるため西阿木名村へやって来ました。
妹には子供が出来ていました。
人の語るところによると、人間の姿をしていても鬼は木綿針を刺しこんだにぎりめしを平気で食べるから、
簡単に見わけがつくとのことでした。
妹は木綿針を刺し込んだにぎりめしをたくさん作り
「もしわたくしが帰らなかったら鬼に食い殺されたのですから、
せめてわたくしども親子の骨を拾いに明日来て下さい」と村人に頼んで、
赤ん坊を背負って秋利神の峡谷を下りました。
以前は秋利神川を渡って対岸の瀬滝村と往来していたのですが、鬼が住むという
噂が立ってから、この峡谷へ降りる人はいなくなりました。それでも断崖を斜めに
細々と道はつづいています。下りるにつれて木々の茂みで暗さを増してきます。
「引っ返そう」と妹は幾度も立ちどまりましたが、噂どおり兄が鬼であるかどうか
をはっきり確かめなければならないという思いに衝かれて前進しました。
やがて川へ出ました日照り続きで水量はさほどなく、深みでも膝丈ほどでした
洞窟は川の北斜面にあります。妹は「兄さん、兄さんと呼びかけ斜面
を登って行きました。たとえ鬼になっていても、妹と知ったらいきなり噛みっきは
しないだろうと思ったからです。
やがて「こっちだ。こっちだという兄の声が聞こえます
やはり昔のままの物柔らかい声です。その声を求めて行きますと洞窟に
着きまし洞窟の奥には人間の頭蓋骨が積み上げられていました。
兄はふんどし一枚でしたが、昔と変わらない優しい顔立ちでした。
「どうして急に行方をくらましたの」と妹が尋ねると「西阿木名村がいやになって、
沖の島に渡っていたのだ」と答えました。沖の島というのは西阿木名村の逢か西方
海上に見える琉黄島のことです。「どうして帰ってきたの」
「あの島に人問が一人もいなくなって急に西阿木名村が恋しくなったからだ。
しかし村に帰るわけにもいかずこの洞窟に住むことにした」と言いました。
「背中の赤ん坊はお前の子か」と兄がききました。妹はさっきから背中の子を見る
兄の目が異様に光るのに気づいていましたが「はいと素直に答え、慌ててにぎりめしを出しました、
にぎりめしで腹がいっぱいになると赤ん坊を取って食おうとすることもあるまいと考えたからです。
「このにぎりめしは少し籾がらがまざっている」と言いながら、兄はうまそうに
にぎりめしを全部食べました。「やはり噂どおり鬼になっている。沖の島の人間を全
部食い尽くして帰ってきたのだ」と思うと全身ががたがた震え出しました。
早く逃げ出さなければと気はあせるのですが、兄は次々と話しかけてきます。とうとう妹
は「小用をたしに行きたい」と立ちあがりました。
「赤ん坊をおぶって行くこともあるまい。ここに置いていけ」と言います。
「いえ、この子は親の背をはなれると、火がついたように泣き出します」と言いますと、
「ではこうして行け」と兄は長い葛(かずら)を妹の帯に括りつけました。
妹は長い葛を引きずって斜面を下りました。時々兄は葛を引っ張って確かめます。
幸い川ふちに芭蕉が生えていました。妹はその芭蕉に葛を括りつけ、
川を渡りはじめました。
「まだか」という兄の声に妹は「もうすこしです」と答えながら対岸へあがりました。
その時「待てーっ」と兄は怒鳴りました。逃げたことをさとったのです。
「しまった」と思いながら妹は必死に坂を駆け上がりましたが、
兄はもう川を渡っています。慌てて藪の中に身をひそめました。
駆け上がってきた兄は「このあたりに隠れたはずだが、こう眩しければ何も見えない」と言いながらあたりを探していましたが、
とうとう諦めて帰って行きました。
あとで、兄が眩しいと言ったのは何だろう、と気をつけて見ると、それは裏白でした。
裏白の葉裏の白さで妹は助かったのです。それから正月に裏白を飾るようになったそうです。
前田長英著 徳之島の昔話より、

徳之島の正月の鏡餅には、欠かせない物です。
これは、人肉を食べてはいけないという強い戒めの話のようで、鬼子母神等もこの類でしょうか、
中世の書物によると、私達が住んでいる、奄美、沖縄は鬼の住む島となっており、
その理由は人を食べるからとなっている、昔、食人の風習でもあったのでしょうか、
12世紀の「今昔物語集」には、円珍が琉球国に漂着した話のなかで、「其国は海中にあり、人を
食らう国なり」等とあり、硫黄島を鬼界島とよび、現在の喜界島も鬼界島と書いたようです。
しかし、これは、天皇に従う者を人と呼び逆らう者を鬼と呼んでいただけかもしれません。
ヤマト政権に逆らった者たちを「土蜘蛛」と呼んでいたように、
もしかしたら以前私が書いたように、鬼の頭蓋骨と言い、昔話等を考えると、ひょとすると、
この辺には、鬼族と呼ばれる、角を持った人間が居たかもしれない。
細かく書くときりがないので、簡単に紹介すると、世界の神を追い求めると、
蛇族と牛族に分かれ、聖書や色んな文献に両者の戦いが載っています。
例えばモーゼがシナイ山に上り十戒を持って麓に下りると、
民衆は牛の偶像を崇拝していた、それを見た神が怒り、、、等
地中海のミノス島には、角のある巨人伝説が残り、インドでは牛を祭る、
ギリシャ神話では、牛は聖なるものとなっており、
古代の世界では、角のある人間は珍しくなかったかもしれない、
さて、徳之島には、実は牛を祭ってある所があります。
以前郷土史会長の徳富先生にその話を聞きましたが、
残念ながらその時時間が無くそこへいく事が出来ずそのままになってしまいました。
場所は三京の近くのようですが、
最近の美紀穂さんからの情報で、牛を祭る場所が3箇所ある事が解りました。
意味あいは若干違って、昔、牛が立て続けに死んでしまうので、これではいけないと奉るようになったようです。
場所は、西阿木名、瀬滝、犬田布岬以上の3箇所、詳細は、文化財、神社、テラを参考に
又鹿児島には、有名な祭り「弥五郎どん」があり、これは南九州伝わっています。
ひょとすると、これは、鬼族の名残りでは無いでしょう?
以前読んだ「岩屋天狗と千年王国」は大変面白く、日本各地の弥五郎の話が載っていました。
無論、正史を研究している人達からは、偽書扱いですが、話としては実に面白い内容でした。
現在この本は絶版になっており、書店では手に入りません。
現在日本の幾つかの寺・神社には、鬼を祭ってある所があります、有名な物は、
大分県宇佐市の大乗院のミイラでしょうか、、しかし中国から入って来た作り物と言う説もあるので、
真偽の程は解りません、、
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