線刻画実は石鍋製作過程?

松山光秀氏年表によると
(12世紀)アマミキヨ(今来の技術集団)が渡来し、製鉄技術、石鍋等をもたらし南島に夜明けをもたらしたという。

はたして、徳之島には、石鍋の製造の事実があるのだろうか?

石鍋に関して、長崎で見つかってるが、その資料と照らし合わせると
実に、似てる、そこで、徳之島での石鍋の可能性を探る
先ず、長崎の資料を ホゲット石鍋遺跡
つづいて、長崎TVの完成品の画像

加筆
下まで読んでもらうと気づくと思いますが、
石が全然違います。そこで、徳之島に石鍋の材料となる滑石が無いか
探した所、蛇紋岩と一緒に有ると言う話、
蛇紋岩なら、島の人が聞けば、誰でも一度位聴いた事がある
一時ブームになった石です。
それで先週、蛇紋岩の取れる三京の山に行ったのですが、
滑石は未だ見つかっていません。しかし、絶対あると思うので、
気長に探すつもりです。

長崎の資料によると、岩壁に30センチから40センチの方形を割り付ける
これに当たる写真が以前紹介した徳之島北部の岩


確かに方形に割り付けてあります。これに近い石を幾つか紹介します。

この石は母間線刻画の2番目の石です。


徳之島北部第一で紹介した石です。

長崎の資料の写真と似てる鍋生成途中と思われる写真の紹介


写真はフーグスクにて撮影
割れてしまったので、途中で製作を止めてのか、長崎の物より
深さが足りませんが、実にそっくりです。

後は、完成品の石鍋があれば完璧なんですが、
今の所私は見た記憶がありません。




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