大城山は朝鮮式山城か?

今新しいソフトを組み込み、徳之島大百科の準備中ですが、
徳之島の年表見ていて、義先生の年表の記述を今まで見落としていました。
年表には、次のようになっています。
1200年頃 大城山、山頂に神籠石出土、この頃シャーマン文化起こる、頂上に祠あり、

この記述が事実なら、大城山は一般的に言われている、山城になる、

ウィキペディアで神籠石の説明

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
神籠石(こうごいし)または神籠石式山城(こうごいししきやましろ)とは古代に築造された山城で、
「日本書紀」「続日本紀」に記載がなく、遺構でしか存在の確認できないものを指す。
古代山城(朝鮮式山城)の比定地にされることもあるが、築造主体など建設の経緯は一切不明である。

特色は、標高200〜400メートルの山頂から中腹にかけて数キロメートルにわたって
一辺が70センチメートル位の切石(きりいし=岩を割って作った石)による石積みを配列し、
谷を通過するときには水門を設けていること。

鏡山猛は、列石前面の3メートル間隔で並ぶ掘立柱穴から、
唐尺使用の開始する7世紀中頃以降の築造としているが、八木奘三郎は、古墳石室の構築法との比較から、
神籠石の築造年代は推古朝(7世紀初)以前としている。北部九州から瀬戸内沿岸にかけて、
16箇所が知られる。

神籠石は、当て字で皮籠石、交合石、皇后石などとも書き、「こうご」の本来の意味は分かっていない。
磐座(いわくら)のことだったという説がある。



大城山頂上の写真です。後ろの小山は殆どが石です。



これらの石は神籠石なのだろうか?残念ながら、これらの石をみて私には、判断できません



途中にある石組みに使われた形跡のある石この向こう側に石が続いています。
上に書いてあるように、現段階で数キロに及んで石があるわけでは無いが、
数百メートルは積み石が続いています。


天城町の文化財の冊子には、朝鮮から来たノロがココを開いたとなっています。


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