徳之島の石眼冨はひょとして、可也古い?
一般的に道路のT字路の突き当たりに置かれる、魔除けの物書いてある文字は色々あり、
石敢当・石敢當・石敢当・石敢東・石散當・石散堂・石当散等があるが、徳之島のように眼を使ったものは
可也珍しく、さらに、歴民館にある石眼冨には、九字が刻まれている、このような物は大変珍しく貴重である。


面縄にある石眼冨
こちらは、文字が敢石當か、敢石富なのか、、現在では使われない文字なのか、、
一般的に読みはいしがんどう、いしがんとう、せっかんとう等様々だが、
果たして、文字の違いで意味の違いがあるのか、この辺は不明
石眼冨の目的
魔物から守るもの、、魔物は真っ直ぐにしか進む事が出来ず、T字路の突き当たりの家に
この魔物が入ってくるため、魔物に対して、ココは行き止まりだと教えるためと云われてますが、
本当にそうなのかどうなのかは不明大体、そんなに昔は魔物が居たのかと不思議に感じる
石眼冨のルーツ
これは中国伝来の風習で、福建省が発祥とされている
そして、台湾、沖縄、鹿児島、と伝わったとなっています。しかし、
もし、ダイレクトに中国から徳之島に伝わったならば、色んな考え方が出てくる、
古いタイプの石眼冨が沖縄、台湾に無ければ、その証拠となるかと考えるがこれはあくまで
地元びいきの考え方、私としてはその方が都合が良いのだが、
仮説石眼冨のルーツ
秦の始皇帝の命で不老不死の妙薬を探し東の海の蓬莱へ旅立った徐福この時男女ら3000人を伴って大船団で旅立
この時の多くの技術者が旅立ったが、もしこの一部が徳之島に住み着いたとすれば、カムィヤキの技術も納得できるし、
中国と直接貿易をも可能であろう、、又伊仙町歴史民俗資料館の石眼冨は九字が使われており、道教の影響があると
考えられる、
道教とは、
道教は、もともとは中国古来のシャーマニズム的呪術信仰を基盤とする自然宗教で、時代にしたがって人気のある神やいろいろな思想を受け入れてきたものです。その結果中身は、儒教や仏教の思想やスタイル、陰陽説・五行説、易学や医学、
ここでキーポイントは、除福も不老不死の妙薬をさがしていたが、
道教自体、不老不死の霊薬、丹を煉り服用し仙人になることを究極の理想とする、
こうしてみると、徳之島に道教が伝わっているなら、それが、除福集団の一部の影響と考えても良いのでは無いか。
九字の入った石眼冨
文字には、他で余り見る事の出来ない眼を使い上には、線が入ってるこれが九字です。
九字切り
元々道教で使われたものが、陰陽道、修験道、真言密教等
真言密教に関してはこちらを参考に
臨、兵、闘、者、皆、陣、列、在、前 の九つの文字から成る密教の邪気を払う真言
上の石の線の意味は次の通り、
9種類の印を結んで、9種類の言葉を発する破魔の修法です。
悪霊、悪魔、邪鬼を滅ぼしたり、災難を避けて願いを叶えたりと、
非常に強い効果を持っているといわれています。
九字護身法
こうしてみると石眼冨は元々この九字が大事だったと思う、うえにも書いてあるとおり、破魔の修法な訳ですから、
以前はすべて九字が入っていた物を時代と共にその意味が忘れ去れ現在のように文字のみになったかも知れない。
中国、台湾の石敢当が気になり色々調べたら
筑波大学比較民俗研究会から出てる論文があったそれにはルーツに関して詳しく書いてあります
15ページに九字の石敢当について書いてあり、喜界島に多いとの事


http://www.tulips.tsukuba.ac.jp/limedio/dlam/M20/M203701/3.pdf
<論文>中国と日本の石敢当
著者:  周,星
Zhou, Xin
シュウ,セイ
北京大学社会学・人類学研究所副教授 筑波大学歴史・人類学系外国人特別研究員






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